テレビ番組「料理の鉄人」で『中華の鉄人』として活躍し、
料理人で四川飯店グループ会長、陳建一(本名・東建一)さんが
間質性肺炎で亡くなりました。
鉄人・陳建一さんは『料理の鉄人』で有名になり、
番組開始時から最終回まで後任に交代することなく出演した唯一の鉄人でした。
つまり中華の鉄人は陳健一さんただ一人なんですね。
そのとても大きな功績により、オーナーシェフを務めた四川飯店グループは、
赤坂、池袋、六本木、静岡、名古屋、徳島、呉、松山、博多で
店舗を展開する一大企業となりましたね
しかし、人間ドックで肺がんが見つかり手術治療を行ったり、療養のため、
2010年頃から経営の第一線は息子の陳建太郎さんに譲っています。
今回はそんな鉄人の息子として、プレッシャーと戦い、
『四川飯店』の3代目オーナーシェフとして活躍する、
陳建太郎さんについて調査してみました。
よかったら最後まで楽しんでいってくださいね。
陳建太郎のプロフィール
本名:東 建太郎(あずま・けんたろう)
職業:赤坂 四川飯店オーナーシェフ
運営会社・民権企業の社長
誕生日:1979年生まれ
出身地:東京都
趣味はゴルフと映画鑑賞
学歴 玉川学園高等部
玉川大学
四川大学へ留学
陳 建太郎(ちん・けんたろう)さんは「四川飯店」3代目オーナーシェフです。
祖父は日本における四川料理の第一人者の陳建民さん。
陳建民さんがが1958年に四川飯店を創業。
今や日本のみならず、シンガポールに店舗。
世界的な企業に発展させました。
36歳で国内12店舗、従業員300人以上の企業グループの
社長に就任したということで、世襲制度で親の七光りもあったのかな
と思ったのですが、経歴を調べて見たら、全然そんなことなくて、
とても努力している方でびっくりしました。
陳建太郎の経歴がすごい
建太郎さんは36歳だった2015年、父・建一さんからバトンタッチされ、四川飯店の3代目社長に就任しました。任命された時、父からは「お前だったらもうできるんじゃないか」と言われたそうです。
引用元:https://smbiz.asahi.com/
しかし、何の努力もなく社長の座を受け継いだわけではありませんでした。
建太郎さんは玉川大学でフランス語を専攻。
当時はフランス料理に興味があったそうですよ。
意外ですね。
しかし20歳のころ、「料理の鉄人」の「最強料理人決定戦」に出る
父・陳建一さんを応援するために、初めてスタジオ観戦に行き、運命が大きく動きました。
実は「坂井シェフにあこがれていた」のだそうです。
そして、二人の料理にかける熱い勝負と、料理を通じてたたえ会う二人の姿に感動。
その瞬間に陳建太郎さんも中華料理の道に進むことを決意したとのこと。
①陳建太郎の経歴に親の七光りはなし
出展元:https://smbiz.asahi.com/
陳建太郎さんは01年、四川飯店グループを運営する民権企業に入社。
配属されたのは父のいる「赤坂四川飯店」ではなく、「スーツァンレストラン陳 渋谷」の厨房。
陳建一の息子だからといって一切特別扱いなしの下積みが始まりました。
最初は料理ではなく、雑用や洗い物の担当。
20人程の先輩の好みを覚えて飲み物をだしたり、
たくさんある香辛料、調味料の置き場所を細かく覚えたそうです。
また先輩から「お前はなぜ、そこですみませんの一言が言えないんだ」
と言われたのがとても印象に残っているそうです。
なかなか社長の息子にそこまで言えないですよね。
本当に0からスタートして、現場での職人の縦社会のなかで
修行をしたんだなと感じますね。
高い緊張感の中で、毎日がサバイバル状態で、
一日をどう生き延びるかと考えて過ごしていたそうです。
とても濃密な修業時代ですね。
②留学を自分で志願
出展元:https://ybht.co.jp/
入社してから2~3年の時、父・陳建一さんがが肺がんになりました。。
当時はまだろくに料理もできない、中国語も話せない状態だったのこと。
そして、自ら『中国に留学させてください』と志願したそうです。
正直とても頼りになる息子さんですよね。
本場で修業を積み、「本物」になりたい。
中国四川省成都にある四川大学に留学。
大学では中国語を専攻し、夜は現地のレストランで働いたそうです。
2年半に及ぶ留学期間で、厨房で自然と中国語も身についたものの、
なんと四川なまりになってしまったそう。
「店を守るだけじゃなく発展させることができると思う、とも言われましたね。バトンタッチをするタイミングだったのでしょう」
引用元:https://smbiz.asahi.com/
そして、2015年に運営会社・民権企業の社長に就任
③会社の発展
引用元:https://www.sisen.jp/
「それまで自分がいた現場と経営者の視点は、全然違いました。例えば労働基準法など、経営者として守らなければならないものはたくさんあります。そのためには精神論や根性論ではいけません。経営者として葛藤のようなものを感じました」
引用元:https://smbiz.asahi.com/
現場での修行の次は、経営者としての修業がはじまりました。
たしかに、自分が修行している時は根性も精神力も大事だなと思っても、
経営者としてはそれを強要できないですからね。
社員からは、「部下をもっと信頼してほしい」、
など厳しい意見も出てきたそうです。
でも、こういう意見を受け止めるってすごいことですよね。
『数字の目標を定めて計画的に進める』ことや、
『企業理念』や『行動指針』、『就業規則』を
しっかりと定めたそうです。
まさに職人から経営者への変貌ですよね。
誰にでもできることじゃないし、すごいことですよ。
またテイクアウトや自社ECサイトを立ち上げて、
時代に即した発展をしていますよね。
企業理念は「ただただ、喜んでほしい。」、行動指針は「料理を愛そう。人を愛そう。」
亡くなった父・陳建一さんにこの企業理念を伝えたときには、
『俺の考えをよく分かっているじゃないか』と言われたそうです。
すてきな話ですよね。
まとめ
テレビ番組「料理の鉄人」で『中華の鉄人』として活躍し、
料理人で四川飯店グループ会長、陳建一(本名・東建一)さんが
亡くなったという悲しいお知らせがありました。
しかし、後継者として息子・陳建太郎さんがしっかりと『四川飯店』を引き継ぎ、
今後も発展させていってくれるであろうりっぱな経営者として成長していることがわかりました。
偉大な『中華の鉄人・陳建一』さんのご冥福を心より祈ります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。