菅原初代は若いころから大食い?きっかけはわんこそばと好奇心!

大食い番組等で『魔女』の異名がつくほど活躍していた

菅原初代(59)さんが、今月9日に亡くなっていたことが本人ツイッターで発表された。

心からご冥福をお祈りします。

多数のバラエティ番組に出演したり、ご自身のパン屋『カンパーニュ』も営んでおりましたが、

大腸がんの診断を受け、療養していたとのこと。

 

今回は、菅原初代さんの若いころや、大食いをはじめたきっかけなどを調べて見ました。

よかったら、最後までご覧ください。

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菅原初代さんのプロフィールと経歴

菅原初代の画像
引用元:https://number.bunshun.jp/名前 菅原初代 すがわら はつよ
生年月日 1963年11月14日
出身 岩手県
出身高校 岩手県立水沢高等学校
大学 山形県立米沢女子短期大学
職業 司書 眼鏡店の販売 パン屋

菅原さんが生まれ育ったのは岩手県南部の水沢市(現・奥州市)というところです。

両親、祖父母、3歳下の弟の6人家族

祖父は板金工、父は大工とのこと。

山形県立米沢女子短期大学を卒業後、公務員試験に合格。

福島県に司書として採用。

5年ほどして、身体の弱い母が倒れて実家に戻り、

その後、眼鏡店の販売の仕事に就いた時期もあったとのこと。

1998年に結婚、35歳のときで、知人に紹介された6歳上の夫は大手企業に勤める会社員。

お互いに本が好きで、話が弾んだとのこと。

2002年に息子の慶君が生まれた。のちに発達障害がわかったそうです。

2008年に離婚。理由は夫のモラハラだったみたいですね。

息子さんの子育ては大変だったようですが、

一卵性親子と言われるくらいとても仲が良いみたいです。
菅原初代の画像
引用元:https://www.jprime.jp/

 

菅原初代さんが大食いを始めたのは、2006年頃からのようですね。

2007年 第22回全日本わんこそば選手権大会 優勝 340杯

2008年 第23回全日本わんこそば選手権大会 優勝 383杯

2009年 第24回全日本わんこそば選手権大会 優勝 399杯

わんこそば大会3連覇でその世界ではかなり有名な存在だったようですよ。

菅原初代の画像
引用元:https://morioka.keizai.biz/

「元祖!大食い王決定戦」では 優勝が5回も (2008女王/2009女王/2010女王/2019女王/2021最強女王)

3連覇していることで、殿堂入りもしています。

今も大食いで活躍するギャル曽根さんすらも寄せ付けなかった強さがあったみたいですね。

菅原初代の画像
引用元:本人Twitterより2016年には岩手県にパン屋さん『カンパーニュ』をオープンしていました。もともと趣味のパン作りで、知人からも進められてパン屋をオープン1日20~30人程のお客さんで、美味しさからリピーターになる人も多かったようです。

菅原初代の画像
引用元:Yahoo!news2022年6月に大腸がんのステージ4と診断。パン屋さんも閉店し闘病生活をしていました。

2023年3月9日 永眠

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菅原初代は若いころから大食い

菅原初代 若いころ
引用元:https://www.jprime.jp/

菅原初代さんは若い頃から大食いだったのでしょうか?

残念ながらそういった話は出てきていませんが、

子供の頃なぜか家にはご飯茶碗がなく、

みんなどんぶりでご飯を食べていたみたいなんですね。

朝ごはんでおかずが出ることはほとんどなくて、

具だくさんの味噌汁と、漬物が定番。

夜ごはんも少ないけれど、おかずがあって、

その分ご飯をたくさん食べたとのこと。

どんぶりでご飯をたくさん食べていたということで、

大食いの基礎が子供のころから自然とできていた可能性はありますね。

気づかなかっただけで、大食いだったのかもしれません。

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菅原初代の大食いのきっかけはわんこそばと好奇心

菅原初代の若いころ画像
引用元:https://blog.goo.ne.jp/

菅原初代さんが大食いにめざめたのわんこそばがきっかけ。

2006年に初めて大食いの大会に出場。

この時もわんこそばを食べる大会に出て、15分で289杯食べて準優勝したそう。

わんこそばの大食いに挑戦したのは、なんと単なる好奇心。

「岩手に住んでいても、わんこそばを食べたことない人って、結構多いんですよ。私もそのひとりですが、好奇心があったんです。もともとやったことがないことにチャレンジするのが好きなんですよ」
引用元:https://www.jprime.jp/articles/print/11876

きっかけは好奇心だったが、その後のめり込んだのは、

いろいろな発見が楽しかったからなんだそうです。

大食いを始めたきっかけは好奇心だが、どっぷりのめり込んだのは、また、別な理由があった。試合に向けて準備する段階で「人間の身体って、こうなっているのか」と発見することが楽しかった。
「お腹に余分な脂肪や腹筋があると胃が広がりにくいというので、試合前に44キロまで、7キロ体重を落としてみたこともあります。
引用元:https://www.jprime.jp/articles/print/11876

弟さんの話では子供のころから『マイブーム』がやってきて、

いろいろなことに興味をもってハマるんだそうです。

菅原初代さんは試合が決まると、まるでアスリートのように、

1月ほどかけて準備をするんだそう。

いきなり大量に食べるのではなく、少しずつ量を増やしていく。

菅原初代さんにとって、大食いは「自分との戦い」。

「もっとほかの出場者を見て争っている感じを出して」
テレビの収録中、スタッフに注意されたとき、菅原さんはこう返したそうだ。
「私は誰とも争ってません」
引用元:https://www.jprime.jp/articles/print/11876

そう言い切れるところが、すごくかっこいいですよね。

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まとめ

『魔女』の異名がつくほど大食いで活躍していた

菅原初代(59)さんが、今月9日に亡くなっていたということで、

若いころからの経歴や、大食いを始めたきっかけなどを調べて見ました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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